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東京高等裁判所 平成7年(う)576号 判決

主文

本件各控訴を棄却する。

当審における訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

本件各控訴の趣意は、検察官松本二三雄作成名義の控訴趣意書及び弁護人関二三雄作成名義の控訴趣意書に、これらに対する答弁は弁護人関二三雄作成名義の答弁書及び検察官亀井冨士雄作成名義の答弁書にそれぞれ記載されたとおりであるから、これらを引用する。

一  弁護人の事実誤認の主張(弁護人の控訴趣意第一)について

論旨は、要するに、被告人は本件犯行が捜査機関に発覚する前に自首したものであるのに、これを認めなかった原判決には判決に影響を及ぼすことの明らかな事実の誤認がある、というのである。

しかし、被告人に自首が成立しないことについては、原判決が、原審において取り調べた証拠に基づき、弁護人の主張する判断において詳細に説示するとおりであり、その判断は正当として是認することができるのであって、記録を精査し、当審における事実取調べの結果を検討しても、その認定及び判断に誤りはない。以下、若干説明を補足する。

本件事案の概要は、次のとおりである。

被告人は、大型自動車の販売を目的とする山梨いすゞ自動車株式会社の営業社員であったが、自動車販売実績を上げて職場での評価を得ようとの虚栄心と安易な営業姿勢から、極端な値引き販売、資力不安定者への販売、更には架空販売などを行いながら、会社には正常で代金回収可能な売上げと報告していたため、その差額又は回収不能額について、他の顧客からの集金代金の流用や母の援助、知人のAからの高利の借入れにより穴埋めをし、あるいは、買主から、あたかも手形を受領し集金したかのように偽ってきた。ところで、平成四年末に、被告人が会社に早急に納入すべき売上未収金を計算したところ、約三七〇〇万円にも達していたので、これを母に打ち明けて、平成五年三月、自己名義の宅地と母名義の建物とを担保に山梨県甲府市内の甲府信用金庫山城支店から三五〇〇万円の融資を受けて、その穴埋めに使った。また、右Aに返済すべき期限切れの二〇〇〇万円の借金があったので、同年四月中旬、叔父から二〇〇〇万円を借り、そのうち一九〇〇万円をAに支払い、窮状をしのいだ。しかし、買主から受け取ったとして会社に差し入れた四月三〇日満期の額面約一〇〇〇万円の手形の決済がまだ残っていたところから、四月下旬、再びAに借金を申し込み、暴力団関係者から出た資金であることを告げられた上、元本一五〇〇万円に五〇〇万円の利息を付け、さらに、従前の未払分五〇〇万円を上乗せした二五〇〇万円を同年五月未日に返済する約束で借り受け、右手形の満期日の四月三〇日に現金一五〇〇万円を受け取って、手形の処理は済ませたものの、この借金の返済については、Aから何回も催促を受けながらも、口実を設けて延ばしに延ばしてきた。このようにして、同年七、八月ころには、被告人の負債総額は一億円ほどに達し、特にAからの二五〇〇万円の借金については、最終返済期限を会社が盆休みに入る八月一二日より前の同月一〇日とし、それ以上の延期は無理であるとの零囲気が生じていて、どうしてもそれまでに返済する必要に迫られ、また、叔父から借りた二〇〇〇万円も体面上いつまでも放置するわけにいかず、対応に苦慮していたが、自力による資金調達は困難な状態にあった。そこで、被告人は、銀行強盗や現金輸送車の襲撃を考えたり、銀行員の拐取による身の代金取得を考えたりするようになっていたが、ついに、身の代金取得を決意し、同月一〇日、同市内の甲府信用金庫大里支店に赴き、窓口でたまたま応対に当たったB(当時一九歳)の名前を記憶し、同人を拐取の対象とすることにした。そして、地元新聞社の発行する雑誌の写真取材を装い、まず電話で甲府信用金庫本店の上司の許可を取り付け、次いで右大里支店に電話を入れて支店長及び右B(以下「被害者」という。)の承諾を得て、午後六時に同市内の小瀬スポーツセンターで落ち合う約束をし、そのころ、タクシーを差し向けて同センターに呼び出した上、言葉巧みに自車に乗せて、自己の愛人のために借りてあった借家に行き、そこに監禁しようとした。ところが、被害者を部屋に上がらせることができなかったため、また車に乗せて走行中、不審に思った被害者が騒ぎ出したので、同市内の濁川土手に停車して被害者の口を封じようとしたが、制止できなかったことから、殺意をもってタオルをその口付近に当てて強く押さえ続け、口周辺部圧迫に基づく一次性外傷性ショックにより被害者を死亡させて殺害した。それから、被害者の死体の遺棄場所を求めて笛吹川や富士川沿いを走り回り、同県中巨摩郡玉穂町地内の笛吹川に来たところで、増水している川に死体を流した。被告人は、さらに、翌一一日午前八時二〇分ころから午後四時五二分ころまでの間、前記大里支店の支店長らに対し、自車から何回も携帯電話をかけ、「お宅の職員を預かっている。四五〇〇万円用意しろ。」などと告げ、支店長に身の代金を持って来るように要求するとともに、その受渡し場所を次々と変更し、最後に中央自動車道上り線を走行させて高井戸基点一〇五キロポスト地点のフェンス外の斜面に四五〇〇万円入りのバッグを置かせようとしたが、誤って一〇四キロポストと指定してしまったためにこれを入手することができず、身の代金の取得をあきらめた。

以上が本件犯行の概要であるが、その後、被告人は、同日夕刻にAと会い、二五〇〇万円の借金の返済ができないことから、同人に自己所有の不動産の権利証と実印を渡した。翌一二日、被害者の死体を捨てた川の様子を見に行ったが、水量が多く死体が海に流されてしまうものと安心し、同月一七日までの盆休みを自宅で過ごし、墓参りをしたり、家族とドライブに行くなどしたが、一七日夕刻、得意先の雨宮自動車工業株式会社の社長夫人から、被害者の死体が発見され、警察官が被告人の上司について聞き込みに来たことを知らされ、さらに、マスコミが死体の富士川下流からの発見を報道するのを聞いて動揺し、その夜、捜査状況を知るために右の得意先を訪れ、社長夫人といろいろ話す間に、「そんなことを言えば、俺だって疑われる。俺の名前は出なかったか。」などと発言して不審がられた。そして、同月二〇日、録音されていた身の代金要求の犯人の声がテレビ等で公開されたことから、自己の身辺に捜査が及ぶことを察知し、Aから一〇〇万円を借りて、翌二一日午前に新東京国際空港から愛人のいる韓国に逃亡したが、結局警察に出頭することとし、同月二三日夜帰国して、家族に犯行を打ち明けた後、Aと地元の暴力団幹部に付き添われ、翌二四日午前四時ころ、レストランで待機していた警察官に犯人として名乗り出たことが認められる。

原審証人Cの証言、原審第四回公判調書中の供述部分、原審第三回公判調書中の証人Dの供述部分、被告人の原審供述その他関係証拠によれば、被告人出頭の前日である同月二三日までの間に、捜査当局が把握していた犯人に関する情報は、おおむね以下のとおりである。

本件身の代金要求が始まった同月一一日、南甲府警察署に直ちに捜査員約二二〇名から成る現地捜査本部が置かれ、捜査した結果、犯行には携帯電話が使われていて、その使用者として被告人の勤務会社の上司の名前が浮かび上がった。同月一七日、被害者の死体が富士川下流で発見された後、二名の警察官が前記の雨宮自動車工業に赴いて聞き込みを行い、右上司の一〇日と一一日の行動確認などをし、さらに、同月一八日、犯人の声の録音テープを社長夫人に聞かせたところ、同夫人は、それは上司の声というより被告人のそれに似ていると答えるとともに、被告人が一七日夜に示した不審な言動、すなわち、既述の「そんなことを言えば、俺だって疑われる。俺の名前は出なかったか。」との発言のほか、被告人も甲府信用金庫から融資を受けている、身の代金の受渡し場所の一つに指定された喫茶店にも出入りしているなどと口走ったことについても、これを警察官に伝えた。その後同日一九日になると、被告人車が一一日午後五時三〇分ころ中央自動車道上り線一〇四キロポスト近くの境川パーキングエリアに入っている事実も警察側に判明した。これらの事情から被告人に対する嫌疑が高まり、被告人を尾行することにしたが、同月二〇日金曜日の朝会社に出勤するところまでは把握することができたものの、同日夜には帰宅せず、以後所在がつかめず、同月二三日の月曜日も出勤していなかったため、逃亡した疑いが濃いと判断された。そこで、捜査本部は、当初被告人の勤務会社関係者の捜査を五名の警察官で行ってきたが、更に約二〇名の増員をし、被告人に対する二四時間監視態勢を採ることにするとともに、同日夜、警察官が再度雑音を取り除いた録音テープを雨宮自動車工業に持って行き、社長に聞かせたところ、被告人の声に間違いないとの確信が得られた。このような状況から、警察側は、共犯者の存在の可能性はあるものの、被告人が犯人の一人であると考え、逮捕状の請求はしないが、被告人を発見し次第、任意同行するとの方針を固めた。すなわち、同月二三日の時点において、捜査本部は、いまだ被告人を犯人と断定はしないものの、極めて嫌疑が濃厚な人物であると判断して、任意同行を求めるためその発見に力を注いでいたことが認められる。

したがって、被告人が同月二四日午前四時ころレストランで待機していた警察官に犯人として名乗り出る前に、捜査機関としては、合理的根拠に基づいて被告人をほぼ犯人として絞り込み、被告人について意識的な捜査を行っていたといえるのであって、このような場合には、自首減軽の立法趣旨にかんがみ、犯人が既に捜査機関に発覚していると見るべきである。所論は、被告人の出頭時における嫌疑の程度につき当裁判所の認定と異なる事実ないし評価を前提にするものであって、これを採用することはできない。原判決には所論のような事実の誤認はなく、論旨は理由がない。

二  検察官及び弁護人の各量刑不当の主張(検察官の控訴趣意及び弁護人の控訴趣意第二)について

検察官の論旨は、要するに、被告人を死刑に処すべきであるのに、無期懲役に処した原判決の量刑は軽すぎて不当である、というのであり、弁護人の論旨は、無期懲役に処した原判決の量刑は重すぎて不当である、というのである。

そこで検討すると、本件事案の概要については、前項に記載したとおりである。すなわち、本件犯行は、金融機関に勤務する年若い被害者を誘拐して殺害し、死体を遺棄した上、その安否を憂慮する関係者に対し、四五〇〇万円という高額の身の代金を要求したものであって、その罪質自体が極めて重大であるばかりか、身の代金の要求に先立ち、何の落ち度もない被害者の生命を無惨にも奪い取り、その死体を増水中の川に流して遺棄していることからして、まさに残忍極まりない犯行である。その上で、被害者が生きているように装い平然と身の代金を要求しているのであって、そこに表れている冷酷さと非情さには許し難いものがあるというべきである。ところで、弁護人の所論は、犯行計画のずさんさを指摘し、被告人がその場その場で事態に対処したという点を強調している。確かに、被告人は、金融機関の女子職員を誘拐し、身の代金を取得した後、犯行の発覚を免れるため同人を殺害して、死体を人目に付かないように遺棄するという犯行計画を立てた程度であって、周到かつ緻密な計画とはいい難く、実行面でも場当たり的な行動が見られ、身の代金の要求前に被害者を殺害し、あるいは身の代金の取得に失敗するなどの齟齬も生じているが、大筋においては計画どおりに犯行を遂行したことに変わりはないのであって、所論のいう犯行計画のずさんさが量刑を大きく左右するような事情とはなり得ないというべきである。

加えて、被害者が殺害される際にさらされた恐怖や苦痛、職場で希望に燃えて生活していた中で若くして突如生命を奪われたことに対する無念の情には計り知れないものがある。のみならず、幼いころから愛情を注ぎ続けその将来に期待を掛けてきた両親や仲の良かった姉の心情、とりわけ被害者の突然の行方不明に対する言い知れぬ不安と焦燥、正視し得ないほどに変わり果てた遺体を確認した父、遺体との対面すら止められた母や姉らの悲痛さ、その犯人に対する激しい憎しみと怒りの情は、察するに余りあり、深い同情の念を禁じ得ない。そして、被告人側の資力の乏しさという事情があるとはいえ、遺族に対する何らの慰謝の方途も講じられておらず、その心情は全くいやされていない。

以上の諸点にかんがみると、被告人には前科がないこと、自首ではないが自らの意思で警察に出頭し、犯行についても捜査の当初から詳細に自白し、自己の犯した罪を率直に認めていることなどの被告人のために酌むべき事情を十分に考慮しても、本件が弁護人の所論のように有期懲役刑をもって処断するのを相当とするような事案であるとは到底いえない。

次に、死刑を科すべきであるとする検察官の所論について考える。

検察官は、死刑を科すべきとする主な理由として、身の代金目的による誘拐殺人の凶悪性とかかる犯罪の一般予防をいうほか、本件においては、金融機関を狙い、前途ある若い女子職員を拐取と殺害の対象にしていること、雑誌の写真取材を装い、上司の承諾を得て被害者をおびき出すというその犯行の手口が極めて巧妙で悪質であること、当初から完全犯罪をもくろみ、あらかじめ確定的殺意を持ち、被害者を誘拐し殺害して死体を遺棄した上、平然と身の代金を要求していることなどの諸事情を挙げている。当裁判所も、事前の確定的殺意の点を含め検察官指摘の諸事情を認めるものであって、これらの事情にかんがみると、被告人が犯した罪はいかに厳しく指弾しても、し切れるものではないと考える。

ところで、死刑は、誠にやむを得ない場合における究極の刑罰であり、その適用には慎重でなければならず、死刑を選択するについては、犯行の罪質、動機、態様、結果の重大性、遺族の被害感情、社会的影響、犯人の年齢、前科、犯行後の情状等を併せ考察することが必要である(最高裁判所昭和五八年七月八日判決・刑集三七巻六号六〇九頁参照)。このうち、結果の重大性に関しては、殺害された被害者の数が重要な要素になるのであって、近年の死刑の適用の傾向を見るとき、その罪種のいかんにかかわらず、殺害された者が一名の事案については、以前と対比してやや控えめな傾向が窺われることは否定できないところである。そうすると、被害者一名の本件事案において、罪刑の均衡の見地からも一般予防の見地からも極刑がやむを得ないと認められるかどうかを判断するに当たっては、その犯行の動機等の更なる検討が必要であると考える。

このような観点から第一に指摘すべき点は、被告人には積極的に金融機関から大金を取得して自己の欲望を満たそうとするような動機はなかったということである。被告人は、既に述べたように、自動車販売実績を上げて職場での評価を得ようとの虚栄心と安易な営業姿勢から、無謀ともいえる営業活動を行った結果、高額の売上未収金を生じ、その穴埋めのために暴力団がらみの高利の借金までする事態に陥り、それらの負債を返すために本件犯行に及んだものであって、その犯行の動機についても、格別に酌量すべき事情があるわけではない。ただ、この間の事情は、遊興等の欲望を満たすために積極的に利得を図るというような事案と比べれば、悪質性の面でややこれを減ずる方向に働き、量刑上相応に考慮されてよい要素であると考えられる。なお、被告人には女性関係があるが、そのための出費は大きなものではなく、また、被告人が遊興飲食や賭け事に特に金を注ぎ込んでいたという事情もない。

第二点は、本件犯行に至った直接のきっかけが、主として前述のAからの二五〇〇万円の借金の返済問題にあったということである。被告人は、平成五年四月三〇日暴力団関係者から出た資金であることを知りながらこれを借り受け、同年五月末日の返済期限は口実を設けて延ばしてきたわけであるが、被告人の検察官及び司法警察員に対する各供述調書、Aの検察官に対する供述調書等によると、被告人としては、金策の方法として宅地建物は既に金融機関からの高額の融資の担保に提供していて担保余力に乏しいので、別の被告人所有の農地を担保に融資を受けようとしたが、金融機関からこの農地では融資はできないと断られた経緯があること、同年六月には農地の売却を考え、不動産業者と交渉したが、これも実現を見るに至らなかったこと、一方、Aからの返済要求は次第に厳しさを増し、同年七月二五日ころ、被告未人を呼び付けて、早く返すように迫って同年八月五日までに返済する旨の言質を取り、被告人は、約束を違えると暴力団から何をされるか分からないとの雰囲気を感じ取ったこと、しかし、金策の付かないまま、その五日には更に厳しい追及を受け、「八月一〇日までには必ず何とかします。」と約束したこと、そして、これが最終期限であると感じて同月八日に本件犯行を決意したことが認められる。これらによれば、実質的には暴力団からの貸付けと見られる多額の借金について、厳しい返済要求があり、被告人は、それに脅え、切羽詰まって本件犯行に駆り立てられて行ったと見る余地がある。これも量刑上考慮すべき事情と考える。

以上を要するに、本件が、金融機関に勤務する何の落ち度もない若い女子職員を当初から殺害する意図をもって拐取し、早々と殺害して、その遺体を増水した川に流して完全犯罪を狙い、翌日平然と莫大な額の身の代金を要求しているものであって、犯行態様の凶悪性が著しく、一般予防の見地からも死刑を科すべきであるとする検察官の意見には傾聴すべきものがあり、当裁判所も、被害者とその遺族の心情には深い同情を禁じ得ないが、他方、本件犯行の動機、経緯等の点において酌むべき事情が全くないとまではいえず、近年の量刑傾向をも併せ考えるとき、死刑をもって処断すべきものとするについては、なお躊躇を覚えざるを得ない。

結局、原判決が無期懲役刑をもって処断したことをもって、軽すぎて不当であるとも、重すぎて不当であるともいえず、検察官及び弁護人の各論旨はいずれも理由がないことに帰する。

よって、刑訴法三九六条により本件各控訴を棄却し、当審における訴訟費用は、同法一八一条一項本文によりこれを被告人に負担させることとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 神田忠治 裁判官小出錞一 裁判官飯田喜信は転補のため署名押印することができない。裁判長裁判官 神田忠治)

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